思うがまま…II

臼井淳一
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(20)町田〜鶴見川の河口までを歩く

 暮れも押し詰まった昨年12月、今年中になんとしてもやりとげないと、2012年を迎えるにスッキリしないことがありました。それは町田〜鶴見川河口までを歩くことです。12月22日決行しました。


出発
川から外さずに下流に向けて元気よく


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 以前に自宅から源流までは歩いたので、今回は自宅から河口です。距離は約35キロです。5キロを1時間で歩けば何とかなると思いました。結果は考えが甘かったです。それに出発する時間が7時50分では遅すぎました。最低でも6時に出る必要がありました。1時間4キロがやっとでした。

 出発して5キロでトイレをコンビニで借りました。ついでに駄菓子を500円ほどポケットに入れました。これがあとで役に立ちました。

 寒いのでトイレは30分置きぐらいに探さなければなりません。この時ばかりは男でよかった。と同時に平日でよかったと思いました。昔の旅人は男女とも街道をちょっと外れてヤブの中ですましたらしいです。

 20キロを過ぎたところで歩くスピードが極端に遅くなりました。陸橋を越えるために石畳を降りる時に危なく転びそうになりました。転びましたら川にドブンです。
 若いころ雪渓をトラバース(横切る)する時に一歩を踏み出した時にふらついた経験があります。踏み外しましたら谷底に落ちしまいます。

 これは「ヤバイ」と思うようになりました。今度はたかが5メートルぐらいの土手を登らなくてはなりません。一気に上ろうと思いましたが、これも転んだら川にドブンです。がまんして階段のあるところまで歩くしかありません。

 原因は後で分ったのですが、両足の親指の爪が紫色に腫れていました。爪を切ったら血がドバッと出ました。やはり軽いシューズは合わなかったのです。それにコンクリート歩行なので足に負担がかかるのです。


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 あと10キロです。予定では河口近くの天ぷら屋で江戸前のアナゴ天ぷらでビールを軽く飲む予定でした。とんでもありません。ポケットから駄菓子を食べるのがやっとの時間になりました。後ろから杖を突いている人に抜かれてしまいました。

 ここで国道15号線に沿って少し歩かなければなりません。本来の目的はあくまで川を外さないことでしたが向こう岸の橋を渡る気力・体力がありません。さらに日没が刻々と近づいてきました。


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 やけくそになり、15号線でタクシーをひろって河口まで行く決心をしました。だがタクシーが捕まりません。仕方なく歩くのですが左側を歩いているつもりが、身体は右に行ってしまいます。

 ファミリーレストランを見つけたので思わず倒れるように入りました。スパゲッティーを急いで食べましたが全く味が分りません。味覚までおかしくなっているのです。

 あと2キロ。河口が夕日に照らされて見えてきました。ここでカメラを撮らないと男ではありません。振るえる足と手でピントなど考えずにバッシ、バッシとシャーターを押しました。

 自宅を出てから7時間以上も経っています。いくらカメラを撮りながらでも時間がかかりすぎます。やはり無謀な計画だったことがせ分りました。


対岸


対岸

 腰に手をあてがい、足を前に「なんとなく歩行」になりました。橋がいくつも見えている♪橋を超えて行こう♪なんていう余裕は全くありません。

 あと1キロ標識を見つける。700メートルほど歩いたところで、散歩している人に「ゼロメートルの標識はどこですか」と聞きますと。なんと、なんと。対岸であることが判明しました。対岸に行くには1キロ戻るか、2キロ進まないと橋がありません。今回は対岸の「ゼロメートル標識」を撮るのはあきらめました。


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もう対岸まで行く元気はありません

「どこから来たのですか?」
「ハイ。町田からです」
「ギャア、ギャア。考えられない。早く帰った方がいいです」

 ご親切に花月園駅まで教えてくれました。この辺はわたしの故郷なので眼をつぶってもいけるのです。なぜかわらにも掴む思いで聞いてしまいました。

 もう花月園の駅まで歩くのは無理です。5分も歩けば叔父の家なので、ここで休むことにしました。ところがその5分の永いこと。永いこと。
「叔父さん。少し休ませてくれる…」
「どうしたの?なに! 歩いて来た」

 倒れように玄関から居間にたどり着く。足を投げ出し横になるしかありません。叔父も伯母もびっくりしています。時計をみたら5時を少し回っていました。

「今、店屋物でも取るからゆっくりしていって」
「いや、いりません。食欲がないのです」
 ここの天丼は美味しいのですが、残念ながら食べる気力がないのです。

 2時間ほど休息して電車で帰宅しましたが、なぜかキップの買い方までが分らなくなり後ろの人に聞く始末です。

 次の日は一歩も歩けませんでした。江戸時代の人たちは35キロぐらい歩いた後でも、さらに次の日は日の出とともに旅立つのです。

もっともこの頃は遠くへ旅に出る人は、現代のサラリーマンと言われる番頭、手代、それに木枯らし紋次郎ぐらいです。おっと参勤交代の殿様と家来を忘れていました。

 ほとんどの庶民は、町内から一歩も出なくても衣食住には不便しませんでした。旅などしないで一生を終える人が多かったのです。また余裕のある人は5年に一度ぐらい、お金を貯めて町内で「大山参り」「伊勢参り」等々をしたそうです。それも家族で水杯を交わして集団で旅立ったそうです。

 今年はしっかりと鍛えて、一日で鶴見川の源流から、東京湾さらにはハワイまで見える場所までいきます。もちろん〇メートル標識も撮ってきます。ついでに真珠湾攻撃もしてきます。いやいや間違えました「日米平和対等平等条約」を締結してきます。

「対等平等なので日本に基地をおかないでください」とお願いしてきます。


(2012年1月15日)



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