思うがまま…II

臼井淳一
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(31)鶴見川の河口0メートル地点を目指して(40・2キロを歩く)

  昨年の教訓を生かして、2012年11月22日は朝の5時に自宅を出ました。まだ真っ暗です。目標は「0メートル標識」地点まで何としても歩くことです。そのために1年近く毎日歩いてきたのです。自信はありました。



 (20)町田〜鶴見川の河口までを歩く(2011年12月22日)


 結論から申し上げますと、去年と同じようにあと10キロで腰がガクガクになりました。あと5キロでベンチに倒れるように眠ってしまいました。そしてあと2キロ地点では「もう二度とやらないぞ」と誓いました。

「0メートル標識」地点まであと1キロ、標識はまだ見えません。散歩しているご婦人たちに聞くと「あと700メートルですよ。うぁーあー町田から来たのですか。頑張りなさいよ」と励まされました。700メートルが10キロに感じるほど辛かったです。

 わたしの歩いている姿を見て「不思議な顔をする人」が多くなりました。自分でも恥ずかしいのです。左肩を落とし、左足を引きずるようにして歩いているのです。それにリックを引きずっているのです。

 こんなはずではなかったと思ってもあとの祭りです。やはり来年1月6日に古希を迎える人間には無謀な挑戦だったかもしれません。もしかすると腰を痛めて「入院」とも考えてしまいました。

 やっとのことで「0メートル標識」地点にたどり着きました。14時15分です。記録するのは面倒なので友人のフーさんに「鶴見川の河口まで歩いたぞ」と携帯をかけました。「大丈夫かい。歩きすぎて死んでしまうぞ」。今、その時の記録が残っています。9時間15分。休憩も入れて歩いたことになります。記録としては昨年とあまり変わっていません。

今回も160枚近く写真を撮りました。あと2キロの地点で写真を撮っていて、撮るのがこんなに「しんどい」とは思いませんでした。一枚撮るのに体がぐらぐらして呼吸が乱れるのです。

 こんな思いまでしてなぜ40キロも歩くのか。それは来年も野球の審判をやりたいからです。草野球の審判といえども、気力と体力が衰えたら辞めるべきだとわたしは思っています。

 足を引きずりながら叔父の家まであと2キロですが、1キロ手前に「国道駅」があります。今回は寄るのをあきらめて国道駅の長い、長い階段を手すりにつかまりながらホームまでやっとのことでたどり着きました。

あと歩くのは町田駅の横浜線のホームから小田急線のホームだけです。自宅まではタクシーです。ああ恥ずかしいです。

 今、これを書いているのは、23日の雨の中で審判を終えてホッとしている時間です。まだ少し痛みますが、前日の腰痛も全身に湿布を張った効果で、一晩ぐっすり眠ったら痛みはなんとか取れました。

実は23日は雨で審判がないと予想していました。事実グランドは野球をできる状態ではありませんでした。しかし選手たちの「どうしてもやりたい」という「熱意」に応えるしかありません。

 なんと、なんと1試合目が終わったらうっすらと陽が差してきました。「審判さん。あと1試合お願いします」と言われた時にはさすがに腰が痛くなってきました。それでも前日の「あと700メートルに比べれば」……。

 わたしは来年の1月6日に古希を迎えます。これからいろいろなことがおこると思います。その時は「あと700メートル」を忘れずに生きていこうと思っています。

「来年も40キロに挑戦するの?」と聞かれましたら。
「鬼が笑うけど。人間いくつになっても挑戦の気持ちを持ちつづけます」

 今年もあと1か月で終わりです。衆議院選挙が12月4日に告示されます。「第3極」と言われる党が左右にブレまくっています。
また「国防軍」を公約にかかげ「軍隊」復活を匂わせている物騒な党が現れています。その中で
「一貫してブレない党」があることを忘れてはなりません。

 それでは「鶴見川の河口0メートル地点を目指して」(40・2キロを歩く)の写真を見てください。


























(2012年12月1日)



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