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7月15日叔父の「お別れ会」で叔父の妹さんにわたしはこんなことを言いました。 「今だから言いますが、わたしは女房以外に《好きになりたいなぁ》と思った人は5人いました。その中の一人はあなたです」 「あらあら。それは光栄ですね。20代のあなたはイケメンでしたね」 そこに突然亡くなったはずの叔父が起き出してこんなことを言います。 「淳ちゃん5人は少ないよ。俺でも10人はいたよ。葛飾・柴又の寅さんは48人だよ。人を好きになることはいいことだよ。だいだい淳ちゃんは《おくて》だよ。一言俺に言ってくれたら妹と一緒にさせたのに」 《おくて日本代表》の叔父さんに今さらこんなことを言われたくないです。だいたい道を聞くと日本地図から説明が始まるのには、脳の仕組みがどうなっているのか知りたかったです。 ここでハット目が覚めました。 「お別れ会」を立派に仕切った叔母は母の妹です。就職で挫折したわたしを良い会社を紹介してくれました。会社を定年まで勤め、楽しい野球の審判をやっていられるのはこの叔母のおかげです。 叔父は86歳で亡くなりました。定年後、日本はもちろん、世界各国「旅」をしました。また多趣・多芸でもありました。お別れ会の会場に展示されていましたほんの作品の一部を紹介します。
「そこが渡世人のつらいところよ」が口癖でしたから、趣味も「渡世人の俺は生きていることが趣味みていなものだよ。それに愛だな?」 『ああ、この人を幸せにしたいなぁと思う。この人のためだったら命なんかいらない、もう、俺死んじゃってもいい、そう思う。それが愛ってもんじゃないかい?』 48人の女(ひと)をこんな気持ちで愛した寅さんは凡人ではなかったのです。いや48人だけではありません。映画を観ている人まで巻き込んで「優しさ」「愛」を考えさせてくれました。
「みんなが家へ帰ることを考えているよ。元気を出してね」 7月15日の「お別れ会」では、寅さんの「優しさ・愛」。叔父の「優しさ・愛」が交差した一日となりました。 日本中に「寅さん」やわたしの「おいちゃん」みたいな人が大勢いれば、住みやすい、平和で楽しい日本になるのではないでしょうか。
「寅さん それがどうしたんだい」 「えへへ 同じ48の数字でも俺とだいぶ違うな」 「寅さんは48人の女にふられてだけだのことだよ。それより中小企業の経営者は四苦八苦だよ なあ博さん」 「まあ タコは足でも食いながら生きることだ」 「労働者諸君 東京の夜空をみたまえ 星がキラキラと輝いているではないか 君たちの未来もきっと輝くだろう」 今夜はこのへんでお開きといたしますか。 (終わり) |
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