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先日、英会話学校に体験入学してまいりました。そこでのテストの結果は「レベル6」でした。「6」は幼稚園児なみだそうです。
なぜ、いまさら英会話なのか。それは「野球の審判」で外人チームと接する機会が多くなり必要性を感じたからです。 彼等は、わたしが「ストライク」とコールすると、英語でべらべらと文句をいいます。わたしにはなにをいっているのかさっぱりわかりません。 日本の選手が時々「臼井さん。ひどいことをいってすいません」と、謝りにきます。 「別に気にしていませんよ。怒っているのがわかりますが、意味がわからないから面白いですよ」と大声で笑いながらいいます。 その会話を聞いていたガイジンは「面白い? それ失礼よ」。と日本語でいうのです。 わたしも負けずに「面白い。面白い。どんどん英語で怒りなさい」と手を広げてオーバーにいうのです。 もう1つの理由は、英会話を覚えて「アメリカの審判学校」に入学しようと密かに考えていることです。 と思っていましたが「英会話を覚えよう」という決意を、この本を読んで考えさせられました。その本は、「失われた日本語、失われた日本」(林秀彦・著)2002年12月発行。著者の林秀夫氏はオーストラリアに移住して、数カ国語をマスターした人です。こういう人の本を読むと、わたしの「単純・脳細胞」は無条件で信じてしまうのです。 この本を読んで。わたしの日本語は「書いても、しゃべっても」それはそれはひどいものだと再認識いたしました。 この本の中で「日本語の響き」に新たに興味を持ちました。「ありがとう」の一言でも、日本全国津々浦々、また職種によって「響き」が違います。 ところで、最近どのお店に入っても「いらしゃいませー。ありがとうございましたー」と、なんにも注文、買い物をしていないのにいわれます。それもお客の顔も見ないでいっています。まったく抑揚のない「日本語の響き」です。 「いらしゃいませーー」などとなれなれしく「せー」伸ばしてほしくないです。 「ありがとうございました」は相手の眼を見ていう言葉です。それもそっぽを向いて「いらしゃいませー。ありがとうございましたー」。ちっともありがたみが出ていません。 まぁ。こんなことを上げれば切りがありません。それにいたしましても日本語が乱れに乱れきっています。その原因は、などと深刻に考えてしまいますと、「英会話を覚えよう」という気持ちが萎えて来てしまいました。「萎えぐ」この意味もあと数20年もすると「死語」になるのではないでしょうか。 そうそう英会話のテストに立ち会った外人の先生は、たったの3分で「レベル6」の結果を出して来ました。 もし仮に、この外人にわたしが日本語を教えるテストをしたら、最低でも30分はかけるでしょう。そして「レベル6」を与えるでしょう。 ということは「英語」というものは、いや「英会話」は、お金を払って覚えるよりも、「野球・外人チーム」の胸の中に飛び込んでいけばなんとかなるのではないでしょうか。 「兎おいし かの山 小鮒釣りし かの川」、こんな響きいい日本語の意味が、最近わからない人が多くなっているといわれています。 「うさぎが美味しいという意味でしょう」。これ本当の話です。 言語とはその国の文化です。難しいことは分かりませんが「文化の退廃」が進んでいることは確実です。「言語」とはなにかを今からでも勉強したくなりました。もちろん「日本語」です。 「いらしゃいませー。ありがとうございましたー」は…グッドバイバイです。 「にほんごがなくなる日」 作詞・臼井淳一 作曲・金光敏博 歌い手・募集 (1) 日本語はとてもいい響きだ 日本語はとてもいい響きだ 偉い学者さんは 日本語が無くなるという 『秋の日は釣瓶(つるべ)落とし』 本当かな 本当かな (2) 日本語はとてもいい響きだ 日本語はとてもいい響きだ 偉い学者さんは 日本語が無くなるという 『頭の上の蝿も追えぬ』 本当かな 本当かな (3) 日本語はとてもいい響きだ 日本語はとてもいい響きだ 偉い学者さんは 日本語が無くなるという 『石の上にも三年』 本当かな 本当かな (近日「CD・USUI企画」より発売予定です) |
(2004年2月1日) |
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