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[8]奈良・雨の薬師寺

 雨が降る奈良の薬師寺、修学旅行生の後ろで、お坊さんの「お話」を聴き、生徒たちと一緒に大声で笑いました。
 わたしは「あれあれ。このお話はどこかで聴いた事があるぞ…」。

 今回、関西へ来た目的は「野球審判の講習会」です。友人の奥様の実家・奈良へ宿泊することになり、ぼんやりと「奈良へ行くなら薬師寺へ行ってみたいなぁー」と思っておりました。それがなんと薬師寺が眼と鼻の先にありました。

「奈良へ行くなら薬師寺…」深い意味がないのです。

 雨の薬師寺・三重塔を観て、偶然に修学旅行生徒の後ろでお坊さんの「お話」を聴き。
 「そうだ。40数年前に中学の修学旅行でここへきているのだ。だけど、奈良に来て薬師寺へなぜ行きたいのか?」。「奈良では、他のお寺さんも観たはずです」。いま一つ釈然としない気持ちでした。

 さらに、古いお堂を観たあと。またもや偶然に中高年の団体の後ろで、先ほどとは別のお坊さんの「お話」を聴くことができました。お話を聴いているうちにだんだんと、わたしが奈良・薬師寺へ来たい「理由」が判ってきました。 

 それは、故・高田好胤住職の「しゃれを入れた、ユーモアを交えた」お話を40数年前に聴いていることが判明いたしました。

 奈良へ行くなら薬師寺へ「ぼんやり」が、「鮮明」になってまいりました。

 当時お堂には、薬師三尊像をはじめ、ぎっしりと仏像が詰め込まれていました。その中で、高田好胤副住職(当時)のお話を聴き、中学生のわたしは大声で「笑」いました。
 正確には高田好胤副住職のお話ではなかったかも知れません。たが、その「笑」いが40数年経って、奈良へ行くなら薬師寺へ、と導いたのではないでしょうか。

「笑」と「涙」は隣り合わせです。お坊さんの「中学生」へのお話と、「中高年」へのお話の内容は、少し違いますが、それぞれの「心」はしっかりととらえていました。隣にいた友人は、お話を聴きながら何回も何回も涙をぬぐっていました。

「あれあれ。このお話はどこかで聴いた事があるぞ」が、40数年経った現在、見事に若い僧侶たちに引き継がれていたのです。

 故・高田好胤住職の教えの一節
  かたよらない心
  こだわらない心
  とらわれない心
  広く広く、もっと広く

 わたしは「無神論者」です。が、思わず合掌してしまいました。

 40数年前の薬師寺も「雨」でした。

(2004年3月1日)


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