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[10]韓国・歴史と文化の旅(上)


孫に民族衣装をプレゼント

可愛い幼稚園児(ソウル市・郊外の公園で)


 以前から「疑問」に思っていたことがありました。それは、なぜ韓国で「男はつらいよ」のロケを山田洋次監督は行わなかったかということです。
 お隣の国だし、飛行機で2時間半もあれば行けるのです。現に第41作ではヨーロッパまでロケに行っています。脚本も韓国が舞台でしたら面白い映画になると思っていました。

 その「疑問」がソウルの街を歩いて解ってきました。「寅さん」みたいな顔立ちの人が実に多いのです。街には「露天商」も多く、その売り手の中年男性80%は「とらさん顔」でした。この露天商では日本のデパートの商品はほとんどが半額で買えます。

 びっくりしたことに「さくらさん」の「うり顔美人」が街のあちこちでたくさん見かけるのです。また、韓国のスチァーデスさんは、全員が若いころの「さくらさん」でした。思わず「飛行機」に乗っているのか、「宝塚劇場」にいるのか分からなくなってしまいました。

「タコ社長」は、なんと私たちのバスの運転手さんでした。「なーよ」「そーよ」「さーよ」「景気わるいよー」と終わりに「よ」をつけて喋っておりました。

「おいちゃん」「おばちゃん」も日本語ぺらぺらで、記念館や保存館で日本人相手のガイドさんを「熱心」にやっていました。

 西大門刑務所保存館では、ガイドの「おばちゃん」が「旧日本軍の残酷な拷問」と「牢獄」の史跡を説明してくれました。最後に「多くの受刑者がこの木を手で触って…刑場に向かった」といわれる「三筋の涙腺」が垂れ下がった「木」の説明には。
 思わず心の中で「本当に旧日本軍は恥ずかしいことをしました。申し訳ありません…」。ポロリ涙が出てしまいました。

 驚いたことに「御前様」は街のあちらこちらに「銅像」になっていました。ガイドさんがいろいろと「説明」してくれるのですが、私には「御前様」にしか映りませんでした。

「源ちゃん」は道路のど真ん中でお団子を売っていました。頭にお団子をのせて、車と車の間を華麗に走り、商売をしていました。「寅さん」みたいな人が、ひょいと一本団子を拝借しておりました。

 そんな光景を目の当たりにしますと、ソウル市内全体が「寅さん一家」に見えてきました。そうそう忘れていました「満男君」です。上野・アメ横とよく似た「南大門市場」で見かけました。「食べてよー。とても美味しいです」と声をかけられました。
 韓国の青年は実に礼儀正しいのです。目上の人に礼を尽くします。その代わり食事に行くような場合は、年長者がすべて支払うそうです。
 
 最後に「博さん」は、仁川国際空港で、わたしたちが乗る韓国・アシアナ航空のパイロットをしていました。あの冷静な「博さん」ですが、成田の着陸は少し乱暴でした。
 こんなメッセージが機内に流れました「お客さま。昨日、さくらと夫婦喧嘩をしまして…ふだんはうまく着陸するのですが…その、あの…またのお越しを。サンキュー」。

 山田洋次監督が韓国ロケをしなかった理由がこれでやっと分かりました。カメラを回していますと別の「とらさん」「さくらさん」が、突然に入ってしまいます。そこへ「おばちゃん」「おいちゃん」も割り込んできます。「タコ社長」が何人も首を出したら、もうこれでは「撮影」になりません。

「韓国・歴史と文化の旅」のお話、次回も読みたくなりましたか?

「お客さん。お客さん。ただ読みだめね。さぁ、さぁ、買った。買った」…(韓国の虎より)

(2004年4月1日)


今回の韓国旅行は4日間に渡り見聞してまいりました。ガイドをしてくださいました韓国の方は「考古学」に深い知識のある方でした。この方がわたし達と同行するうちに「微妙な変化」を示したのに、わたしは気付きました。つづきは次回で。


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