「サタデーリーグ」トップページへ 前ページへ
[13]決めつけて人間を見ない


 今、わたしは無性に旅に出たいです。できれば洒落た和風旅館で、部屋から見える竹林を見ながら「京風懐石料理」で、辛口熱燗のお酒をゆっくり味わいたいのです。

 初めて懐石料理を食した時は、色とりどり器の中にはちょっぴりしか料理が入ってなく、大好きな枝豆が「3つぶ」しかなく、物足りなさを感じました。それにいっぺんに「ドーン」と運んでくればいいのにと思いました。
 また、女将の「料理の説明」にも、意地汚いわたしは、料理に箸をつけ、女房に手を叩かれました。

「船盛の刺身」をどーんと置いて、わいわい、がやがや飲むのが一番わたしの「性」にあっているのです。実はまた「京風懐石料理」も、わたしの「性」にあっているのです。

 人間は面白いもので、必ず「表と裏」があります。どちらが表か裏かはこれまた本人も分からなくなる時があります。それは絶えず「進歩・成長」しているからです。第三者が分からなくなるのは当然です。

 特に「仕事がらみ」で人と接する機会が多かった頃と、現在のわたしの立場のように、なんの「しがらみ」もなく人と接するのとは「人の見方」が違ってまいります。

 最近、わたしは「単刀直入」に物事を言うことにしています。特に若い人と接する時には、遠回しに優しく言うよりは「単刀直入」の方が「誤解」が生まれません。

 あぁ、そうだ「わたしは無性に旅に出たいのだ」。そして「京風懐石料理」も食べたいのです。けれども、わたしを取り巻く状況は厳しいものがあるのです。その最大の障害はインターネットにあります。

 朝、パソコンのスイッチを入れますと「画面いっぱい」にメールが来ます。それに半分「対応」してからの朝食です。続きの「対応」をしているうちにお昼になります。3時頃にスイッチを入れますと、また「画面いっぱい」にメールが来ています。5時まで何とか「対応」します。夕食をすませパソコンに向かいますと、またまたメールが来ています。

 こんなことを毎日繰り返していますと無性に旅に出たくなるのです。人間は幾つになっても「進歩・成長」するのです。だから「京風懐石料理」も食べたくなるのです。

 一番いけないことは「決めつけて」人間を見てしまうことです。

「いいかい。満夫。失恋は多くすれば、いいってもんじゃないぞ。成長することが大事なのだ。わかるかい」(寅さん)
「叔父さんは、成長しすぎたね…」(諏訪満男)

(2004年5月15日)



「サタデーリーグ」トップページへ
前ページへ