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先日、元・職場の同僚である友人の女性が、永い闘病の末亡くなりました。彼女とは70年代〜80年代、まだ、コンピューターがない時代、職場の中で「家族会」「歓送迎会」「社員の結婚式」等々を一緒に企画したり、実行委員会を作ったりして、職場の中では「おまえさん。お姉さん」と呼び合う「仲」でありました。 彼女が入退院を繰り返し始めたのは「7〜8年前」だと思います。わたし自身も他職場の異動。そして定年退職とあわただしく。「お見舞い」に一度も行けず、不義理を欠いていた矢先の訃報でございました。 今、手元に1枚の写真があります。わたしの娘、息子がまだ小学生です。家族会で奥多摩へ「ます釣り」へ行った時の写真です。なにしろ彼女は「世話やき」が大好きです。家族の皆さんは、いろいろと気を使っていただきました。 職場の勤務が不規則なため、全員が集まれる日は、年に数日しかありませんでした。また、若い男性の多い職場で「意思の疎通」が仕事上でも重要視されていました。彼女の果たす「役割」はとても大切なものがありました。 今、思い浮かべますと「一人ひとりを大切にしよう」という気概があった時代です。彼女はただの「世話好き」ではなく、若い人などは「声」をかけられただけで、気持ちが和らいで「ほっ」とさせる魅力をもった女(ひと)でした。また「おまえさん。それはダメよ!」と厳しく叱られた想い出もあります。 そんな彼女の通夜に、わたしは「喪服」を着ていくのをためらいました。迷いに迷った結果、白いズボンにクリーム色のシャツを着ていくことにしました。 「だいたい、おまえさんには喪服はあわないよ。見舞いに一度も来なかったじゃないか。喪服を着てあたしの前に出てくるなんて…コラ!」と、確実に怒られそうな気持ちがいたしました。 通夜の式場では、瞳がとても美しい、彼女の娘さんが、かいがいしく、かろやかに対応している姿が印象に残りました。 そうそう、彼女はとても文章が上手でした。それも「ひらがな」の使い方が巧く、そして読みやすく、優しい文章を書く女(ひと)でした。 長野県・大町の美しい自然の中で育った彼女と、私が大好きな「信濃の国」を一緒に歌った想い出があります。 ♪信濃の国は 十州に 境連ぬる国にして ♪聳ゆる山は いや高く 流るる川は いや遠し http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/shinanonokuni.html わたしには「信濃の国」は聞くだけの唄になってしまいました。 寅「まさみって女は、そんなにいい女かい?」 満夫「叔父さんが逢っていたら惚れたよ。すぐに振られたけどさ!」 (2004年6月15日) |
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