となりに住んでいる息子夫婦から「バーベキューをやるから」という誘い。
雨あがりの夕方、暑くもなく、寒くもなく、ここちよい風が吹く狭い庭先でのバーベキューでした。
バーベキューの鉄板のそばで孫が「うろちょろ」して、夕闇に上がっていく煙に「奇声」を発しています。息子夫婦が子どもを気遣いながら、炭火・鉄板で料理をせっせと焼き上げています。
わたしは、缶ビールを片手に「炭火の焼き鳥」を食べながら、昔を想いだして何故か無口になっていきました。
30数年前も、わたしたちはこんなことをやってきたのです。それは「山の中」、「川辺・海辺」、時には湖のほとりでした。二人の子どもと犬が「うろちょろ」しておりました。
今夕は「成長」した子どもにご馳走になりました。が、親から見ますと子どもはいつまでたっても「うろちょろ」しているように見えます。
何十年か後には孫は結婚して、そして親たちをバーベキューに「誘う」でしょう。雨あがりの夕方、親の息子は「うろちょろ」する孫を見ながら、無口になりビールを飲むでしょう。
そんに「光景」を見られるまでわたしは長生きできません。が、「想像」するだけで楽しくなってきました。
あぁ。ここまで書いてテレビの「北の国から」のラストシーンを思い出しました。わたしは「北の大地」に住んでいませんが、五郎の「気持ち」が分かるようになって来ました。
「単純な生活」のくり返しほど、人間にとって一番大変で難しいのです。わたしたちの生活は五郎のような「自然相手」ではありません。
都会という「東京砂漠」の中での「渇いた生活」のくり返しです。これまた大変なのです。
フーテンの寅の生き方、「北の国から」の五郎の生き方、それはわたしたちの「憧れ」「夢」なのです。
そんなことをしみじみと感じました。
あぁ、バーベキューの煙が眼に沁みて久しぶりに涙線が濡れてきました。あぁ、涙も出てきました。
「あぁ」がなんで出てくるのかわたしにもよくわかりません。