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私が書いた初めての「詩」

作 臼井 淳一  



 私の手元に昭和30年11月発行の「日本のこころ」五年生という本があります。その中に―明るい教室―(五年生の作文と詩)というのがあります。

 「うらめしい花火」   巴 淳一(臼井淳一)
花月園のふみ切りを渡ろうとしたら
花火が
「パンパン パンパン。」となった。
あんな競輪場がなかったら
工藤君は
ブタ池なんかで
クギぶっとおして
死ななくてよかったんだ。
おれは
花火が
うらめしくてしょうがなかった。
(注・花月園競輪場は無料動物園でした)

 「働く子」       巴 淳一
ビュービュー
風を切って走った
パン屋の前で
飯島さんと出っかした。
カメみたい車を
ガラガラ引いきた。
バカ(貝)がバケツに四はいのっかっている。
飯島さん、
こしのまがったおばあさんみたいに
車を引いている。
おれはブレーキを止めて見ていた。
女の子なのに
よく働くなあ……

 15年ほど前、小沢先生が、本屋で「万引き」した話を母から聞きました。そのとき母は「あんなに、いい先生が、万引きするなんてねえ…じゅん、お前は、お世話になったんだから、一度、同級生を集めて、先生を励ましたら」と言われました。
 私は、びっくりしましたが、母にそれ以上、詮索する話はやめました。そうだ。一度、小沢先生と会って、いろいろ話しをしてみたいなあーと思いました。が、仕事と野球の審判に忙しく実現しませんでした。

 いま、改めて、あの時、先生から頂いた本を読み返して、私と小沢先生の「出会い」がふつふつとよみがえってきました。

 私が、5年生になってはじめて書いた詩は、 詩/し/死/しーい/しょうべん と書きなぐったものでした。てっきり怒られる思っていましたが、それを見た小沢先生は、大きな声でよみあげて、「素直でいい詩だ。小便がしたいのか」といって、クラス中を笑いの渦にしました。それから、私は「詩」は思っていることを素直に書けばいいんだ。これならできると自信がわいてきました。クラスの仲間も「詩」を書くことに夢中になってきました。

(つづく)

[2000年7月]