【2】

「弱い者いじめは 卒業だ」

作 臼井 淳一  



 小沢先生の顔は、サザエさんの「マスオさん」にそっくりです。先生が怒られるときは、眼鏡がずれ落ちマスオさんそのものになります。

 私は、弟が次々と生まれたため、近所に住む祖父、祖母に育てられました。いわゆる「おばあちゃん子」です。特に祖母は初孫の私を「かわいい、かわいい」で育ててしまいました。私が杉山幼稚園を3日間で退園した記録は、いまでも破られていないそうです。わがままに育ったので集団生活にどうしても慣れなかったのです。

 「三つ子の魂、百まで」とは、よくいったものです。、私は社会人になっても、組織とかに縛られるのは大嫌いです。野球の審判をやっている私が、本当の私の姿だと思います。

 小沢先生に怒られたのは、私がクラスの障害のある子を、調子に乗って、顔をスリッパで踏んづけてしまったのです。それが先生に分かってしまいました。
 「巴 まえに でてこい。横になれ。お前のやったことは、こういうことか」といって、私の顔を先生はスリッパで踏みました。

 私は、いままで生きてきた中で、これほどの屈辱感をあじわったのは、はじめてでした。横になりながら、何故か涙がぼろぼろでてきました。さらに先生は、
 「巴 立て 弱い者いじめは、今日で卒業だ」と言われました。
 私は、先生のこの一言で、教室に大きく響く声で「わーん、わーん」泣きました。

 先生は「巴 席に戻れ 明日のソフトボールの試合、お前、投げるか」
 私は、しゃくりあげながら「はい 投げます」と返事するのがせいいっぱいでした。

 小学校5年生の暑い日のできごとでした。
  
 この日を境に、弱い者いじめはやめました。そして、強い者に向かっていきました。もちろん、こてんぱんにやられました。でも、私がやられて帰ってくると、二人の弟が「兄貴の敵討ちだ」といって、2人で見事にやっつけてきました。このころから「巴3兄弟に近寄るな」なーンてはいわれませんでした。

(つづく)

[2000年7月]