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「15年分のエントツ」

作 臼井 淳一  



 木俣様から学級文集・小沢勲先生の教師生活15年間の「エントツ」がダンボールで送られてきました。全部がガリ版刷りなので丁重に扱わないと破けてしまいそうです。
 15年分の中から1954年の私たちの「5年2組・エントツ」を探すのは大変だと思っていましたが、なんと2冊もしっかりと綴じて保存されているです。「小沢先生のこと1、4に書いてあります私と田子君の詩も載っておりました。もう一冊の「エントツ」には、私の母の手紙も載っていました。

 15年分の「エントツ」でしっかり紐とホッチキスで保存されているのは、私達の「5年2組・エントツ」だけです。後は、ばらばらな状態です。これを年代別に整理する作業は、とても時間がかかりますか、やりがいがあることだと思います。

 その中の私達の「お別れ文集」編集後記を紹介します。
 (「エントツ・お別れ文集」表紙実物→こちらもぜひご覧下さい

 父兄の皆さんへ
 1年間をふり返ってみると、皆さんのかわいらしい子供さんたちのガキ大将になり、いばったり、からかったり、しかりとばしたりしたことが、次から次へと浮かび上がってまいります。

 体の弱い子、頭のおくれている子達へ、温かい手をさしのべてやるという点で、大変な手ぬかりのあったことを思えば、われながら、「ガキ大将」というアダ名、ピッタリしているなあーと思います。
 せめて、罪亡ぼしの意味から、少しでも子供の喜んでくれる文集を作ろう と、通知簿を渡したその日から始め、今やっと出来上がったのですが、やはり不親切なものしか出来ませんでした。

 「子供の喜んでくれる文集」といいましたけれど、まず、「先生がシッカリ読まなければならぬ文集」といった方が適切です。ぼくは、4月5日から、「3年生と一しょに勉強するのですが、この「子供の声」を肌身離すことなく、少しでもましな先生に成長して行きたいと思っています。

 皆さんと、皆さんの子供さんのご健康をも心からお祈りいたします。
 さようなら。

(おざわ いさわ・30日夜)


 この文章を読んで、45年前の小沢先生の姿がはっきりと、浮かんできました。

 21世紀を迎えて「教育」の重要性が叫ばれていますが、小沢勲の子供たちへの接し方は、今こそ「先生」と呼ばれる人たちが「学ぶ」べきものが多くあるのではないでしょうか。
 「小沢勲の仕事・エントツ(仮題)」は、遅くとも2月初旬には出版したいと準備しています。

[2001年1月]