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「筋書きのないドラマ! 復刻2発行までの足取り」

作 臼井 淳一  



 「小沢先生」を書き始めて、今回で10回目になります。なぜこんなに長い連載になったのか少し整理してみたいと思います。

 自宅に1955年発行の「日本のこころ・5年生」、私の詩が2編載っている本を見つける。小沢先生を思いだし当サイトに「小沢先生のこと」1〜4を書いているうちに先生にお会いしたくなる。小学校に問い合わせる。ご自宅に電話すると、ご子息に「20年前亡くなっている」ことを知らされる。何気なく「yahoo」で「小沢勲」と検索する。「小沢勲・エントツ復刻1・木俣敏編」発見。友人の金光さんが、それは奈良教育大学・教育資料館のサイトで保存資料として登録されているものだということを調べてくれる。でも、なぜ奈良なのか? 教育資料館にメールで問い合わせ、「エントツ」を見せてもらえることになる。奈良までいく準備をする。

 友人の金光さんが、教育資料館の「エントツ復刻1」が昭和56年8月8日・百合出版発行となっていることと小沢先生が作文による教育に熱心だったという点から、百合出版発行の詩集「山芋」で有名な寒川(さがわ)先生らが活動しておられた「日本作文の会」との関連があるかもしれないことと、「日本作文の会」のサイトもあることを知らせてくれる。早速メールで「作文の会」に「小沢先生」のことを問い合わせる。「作文の会」より「復刻1」の編集者、木俣敏様の電話・住所を知らされる。木俣様に当サイト「小沢先生のこと」1〜4のプリントと手紙を送る。

 木俣様よりお手紙と「エントツ・復刻1」が送られてくる。木俣様と横浜でお会いする。「エントツ復刻2」を木俣さんを中心に、友人の北原さん、金光さんの協力で出版することになる。「小沢先生その後」を1〜5連載。

 日本作文の会の月刊誌「作文と教育」3月号に「過ぎこしをふり返り、恩師・小沢勲先生を偲びつつ」という題名で当サイト小沢先生についての作文が載る(掲載された「作文と教育」の表紙・中味がクリックすると見られます)。

 「作文と教育」に載った小沢先生についての作文をご覧になられた奈良・谷山様よりお手紙をいただく。奈良教育大学・教育資料館に「エントツ・復刻1」を寄贈したのは谷山様と判明。現在「小沢勲の成してきたしごと・エントツ復刻2・横浜生麦小学校・木俣敏編」出版準備中。

 全く筋書きのないドラマです。45年前のことが現在によみがえりました。インターネットは使い方によって「ドラマ」を生みます。インターネットの「凄さ」を体験いたしました。

 出版する本は「過去」のことでなく、多くの人が読まれても感銘を受けるのではないかと思います。「懐かしさ」の中に、現代に通じることが「宝石」のごとくちりばめられております。
 
 「小沢勲の成してきたしごと・エントツ復刻2・横浜生麦小学校 木俣敏編」は3月31日に出来上がります。
 恥ずかしいのですが、私の写真も載っております。

[2001年3月]