【番外】

「生麦事件」著吉村 昭様への手紙

作 臼井 淳一  


 「生麦事件」上・下を読ませていただいております。わたしは、生まれも育ちも生麦でございます。わたしの故郷が話題になるのはとても嬉しいことです。
 わたしの回りで「生麦」と聞いても30才台の人はほとんど知りません。40才後半で「あぁ。あの大名行列を横切って斬られた外人のこと」。50才台で「歴史的な有名な事件があった横浜・生麦」と理解してくれます。

 吉村先生の「生麦事件」(上)によりますと《リチャードソンが斬られたのは、生麦村字本宮の村田屋の前》。と書かれておりましてびっくりいたしました。本宮町という知名はわたしが子供のころの地名です。それも本宮町は旧東海道50メートルぐらいの地名です。現在は丁目に変わっています。また、村田屋は子供の時からあるお米屋さんです。
 わたしの生家は、村田屋の斜め前の旧東海道沿いです。現在も伯父が住んでおります。名前は巴といいます。生麦にとても多い名前です。

 最近、千葉に住んでいます伯母に聞いた話ですが「巴の本家(国道駅の近く)は昔、網元で、江戸時代は花火の打ち上げもやっていた。あの隅田川の『たまやー。かぎやー』の玉屋の親戚で、本家の屋号も玉屋。お前の祖父の祖父は生麦事件を目撃している」といっていました。

 わたしは現在、町田市に住んでおります。昨年、48年前の小学校5年生の恩師・小沢勲先生のことを調べている中で、生麦小学校「小沢勲のなしてきたしごと・エントツ復刻2」を木俣敏様と友人の協力を得まして自主出版いたしました。
 小沢勲が「綴り方というしごと」を通じて、生麦の子供たちを愛し。生麦の町を愛し。日本という国を愛し。58才の若さで心を病まれ亡くなられました。わたしは故郷生麦を愛した小沢勲を誇りに思っております。
 
 吉村先生の「生麦事件」と「エントツ復刻」を結びつけるのは、どだい無理なおはなしでございますが、先日、友人たちとお酒を飲みながら「吉村先生のおかげでエントツにつづき生麦が有名になった」。「そうだ。吉村先生にエントツ送ったら」と友人。酔った勢いで「エントツを読まないで生麦事件をよく書けるなぁー」と臼井の発言。このあとは盛り上がってしまいました。

 吉村先生。数々の非礼をお許しください。まことにぶしつけではございますが、「生麦小・エントツ復刻2」をお礼に送らせていただきます。

(2002年6月10日 臼井淳一 旧姓・巴 淳一)