8月6日は炎天下の河川敷で野球審判をやりました。朝のテレビニュースで今日は広島に原爆が投下された日であることを知りました。
それにしましても今年の夏は暑すぎます。この日もグランドに立っているだけでクラクラしてきました。どこかに「日陰」はないかと探しましたが、ここは河川敷で、あるはずがありません。
ところが、ほんの少しの日陰を見つけました。それはバックネットです。ネットの金網が「点線」ではありますが、強烈な太陽をほんの少しさえぎってくれるのです。それに「8面」と貼られた「板」がわたしの顔だけを完全に太陽から隠してくれるのです。ほんのいっとき、涼しい風が冷たく感じられました。
試合前でありますが、わたしは空を見上げてふっとこんな事を想いうかべました。
原爆が投下された日もこんな天気だったのか。もしもこの場所に原爆が投下されたらどうなるのか。おそらくわたしがここにいた存在を証明するものは一切失われるでしょう。
グランド横に止めてあるわたしの愛車も原型をとどめないでしょう。けれどひとつだけ残る「物」があります。それは審判マスクです。15年前の冬にわたしの車が放火された時、審判道具、その他がすべて「灰」になりました。けれど審判マスクの鉄網だけが残りました。今でも時々このマスク使用しています。
そんなことを考えていますと、上空に飛行機が現われました。何故か背筋がゾッとしてきました。60年前の8月6日の出来事がまた60年後に再現されるのか。そんなことはあろうはずがないと思い、頭をブルブルと振り、審判マスクをかぶり、力強く「プレーッ」と宣言しました。
アメリカの原爆に携わった科学者がはっきり言っています。「10万人殺すのには空爆を何回もやらなくてはならない。原爆は一回ですむ。それで戦争は終わったのだ。私は広島への原爆投下には今でも反省はしない。謝らない」と。
日本で、世界で、核兵器の恐ろしさを訴え続けて50余年も経ちましたが、アメリカにはこのような科学者がゴロゴロいるのです。そして今でもセッセと核兵器の製造・実験・販売をしているのです。
6カ国会議で日本の「拉致問題」を一緒になり取り上げないのは、この国の「自分の事は自分で守れ」の建国精神だと思います。それに「損得勘定」だけで物事を判断する「合理主義」がこの国には脈々と流れています。この国とのお付き合いは「合理的」が一番ではないでしょうか。それには「日米安全保障条約」の内容を抜本的に改正しなければいけません。
戦後60年になりますが、8月6日の「陰」にはなかなか明るい「太陽」が射し込みません。日本でも、憲法9条を「改正」して「戦争」をという暗い「影」が忍び寄ってきました。どの政党が「戦争を放棄」の憲法9条を「改正」しようとしているのか見定める必要があります。
熱い、暑い夏です。9月11日は衆院選挙です。忍び寄る暗い「影」を焼け尽くすのには絶好のチャンスです。
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