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[9]七・五・三

 11月6日(日)近所の菅原神社へ3才になりました孫の七・五・三に行ってきました。やはり少子化の影響でしょうか。こどもが少なく感じられました。

 おじいちゃん、おばあちゃん。それに親戚も含めますと、こども一人に大人が6人も7人も連れ立っていました。
 こどもの七・五・三ではなく、大人の七十・五十・三十の祝い事のようになってきました。

 わたし達の娘や息子の七・五・三には、親子4人でした。それもすべてが「貸衣装」でした。まぁ、大人になった時の記念にやっておこうという感じでした。

 こどもの祝い事のイベントでは、最近は七・五・三が一番ではないでしょうか。とくにわたしのような「初孫」の場合は、「バカ・オヤジ」から「バカ・爺」に変身してしまいました。

「今日は何があっても用事は断る。野球の審判? そんなことやっていたの?」ということになってしまいました。

 これは「初孫」だからです。「次の孫」になりますと。
「どうせ同じ事をやるのだから勝手にやったら」ということになってしまうのです。

 同じ兄弟・姉妹なのに「性格」の違いや、時には「顔」がまったく似ていない兄弟・姉妹を見受けます。同じ母親から生まれながら、兄弟・姉妹でいろいろな違いが出てくるのが面白いのです。全部同じ人間に成長しましたら面白くも可笑しくもありません。

 わたし自信も初孫でした。戦時中でありますが、ちやほや育てられてしまいました。その結果は「無責任」という責任感あふれない人間になってしまいました。
 まぁ、これはこれで仕方がないと思っています。わたしが次男、三男、あるいは五男当たりに生まれていましたら、今ごろは「少子化対策・責任大臣」になっていたでしょう。

 さて2年後は「次孫」の3才の七・五・三です。果たしてわたしは何もかも放り出し、菅原神社へ行くのでしょうか。

 人間だれしも「初物」には弱く、すぐに飛びつきます。初恋のほろ苦いことを想い浮かべ、一番仕込みで、酒の肴は秋刀魚の刺身などで一杯飲みたいものです。

 おっと「次孫」の3才の七・五・三でした。なかなか「公平・平等」とはいきませんが、「少子化対策・責任大臣」になれませんでしたので祝うことにいたしましょう。

 それでは初孫の七・五・三の写真を見てください。
「眼の中に入るものなら入れたいです」。

七五三

(2005年11月15日)



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