作 臼井 淳一


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 (4)あぁ…定年8カ月前

 「そんなひまはねえー」
 電車の車内広告を見ていましたら「生麦事件」吉村昭著が目に触れました。
 横浜・生麦は、わたしが生まれ育ったところです。わたしの祖父が明治30年生まれ、祖父の祖父(ややこしい)がこの事件を目の当たりにしているはずです。

 わたしの旧姓は巴といいます。祖父の生家の屋号は「玉屋」です。あの隅田川の「たまやー。かぎやー」で有名な花火屋の玉屋の親戚です。伯母の話によりますと横浜港の「川筋」を仕切っていた「網元」兼「花火や」だったそうです。親戚に「玉金」という屋号がいました。反対に読んでみてください「玉金?」。祖父は「玉喜」という屋号でした。

 また、伯母から面白い話しを聞きました。祖父の生家の一人息子が学徒出陣「雨の明治神外苑行進」の古いニュース映画からテレビに映る時があるそうです。この方はわたしの母とは従兄妹どうしです。
 なんと、この方が戦後、数年経ち「生きている。今から帰る。待っていてくれ?」という手紙が、生家よりも早く母宛てに先に届いたそうです。(わたしの出生を知らずに。どこまで本当かは知りません)。
 
 生麦事件の話しに戻ります。子供のころ祖父に「生麦事件」のことを聞いたら「商(あきねえ)で忙しい。そんなひまはねえー」と一喝されました。

 わたしの生家は旧東海道沿に今でもあります。お正月の箱根駅伝の京浜第1国道は、正確には全部が東海道ではありません。東海道は海岸線ギリギリに作られた道であることがあちらこちらで見られます。
 吉村昭著「生麦事件」によると、リチャードソンを斬ったのは、生麦村字本宮の村田屋の前。ということは、なんと私の生家の前で事件が起きたのです。
 その時、歴史は動いた!

 「じいちゃん。じいちゃんのおじいちゃんから、生麦事件のことを聞いてくれた!」
と、お墓参りで聞きました。
そしたら
「淳!おじいちゃんもいっていたぞ。商(あきねえ)で忙しい。そんなひまはねえー」と。

 あぁ。完全に「ぽっぽや」の世界に入ってしまいました。

(2002年6月15日)



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