やっ
康さんのこと(4)

《 あぁ「決闘」杉山神社 》

作 臼井 淳一  



 中学1年生の春、突然、康さんが「じゅん坊、立会人になってくれ」といってきました。「立会人」とは「決闘」をやることです。このころなぜか「決闘」が流行っていました。たぶん「宮本武蔵」映画の影響でしょう。

 おいらの中学校は、下町の生麦小学校と山の手の岸谷小学校の2校から構成されています。おいらも康さんも下町育ち。3軒先の家の夫婦喧嘩から、隣の便所の音まで筒抜けの環境で少年期をすごしました。山の手の生徒は垣根で囲まれた家だったり、3階建ての社宅だったり、衣食住すべてがおいら達と違っていました。特に「ぼくのお母さまは……」なんて喋られると、おいらたちはムカッとしました。

 そんな子供たちが同じクラスになるのですから、当然、あつれきが起こり、喧嘩にもなりますが、大体はおいら達、下町の荒っぽい勢いに押され、山の手の生徒はおとなしくしていました。でも、ときどき「決闘」になる場合があります。

 康さんの「決闘」の相手は、山の手育ちの天海日出男という、体のがっちりした生徒でした。場所は学校に近い杉山神社の裏と決まっていました。放課後、天海の「立会人」と、康さんとおいらの四人で杉山神社に行きました.。ルールは武器を持たないこと。相手が「参った」といったら止めること。さらに「血」が出た時点で「立会人」が止めに入ることの3点です。

 おいらは、康さんが頭突で勝つと思っていました。何しろ康さんの頭は石頭で、水の少ないプールに飛び込み「こぶ」ができても、また、飛び込むのです。
 康さんは、天海より頭一つ小さいのに勇敢に向かっていきました。天海は康さんの肩を押さえようとしました。その瞬間に康さんの頭突が天海の鼻に決まりました。鼻血が絵に書いたように「ドボッー」と出ました。勝負ありです。
 康さんは、鼻血の勢いにびっくりし、「天海 ごめんな ごめんな」とうろうろするばかりです。

 決闘の帰り道、康さんは、「天海は、おれの大好きな、こまどり姉妹の写真を破いたのだ」。おいらは、思わず「えっ、こまどり姉妹 くだらないねーよ」と、のどまで出ましたが、興奮している康さんに、頭突をくわされては大変だと思い言葉を呑み込みました。
 康さんの「こまどり姉妹ファン」は、その後も延々と続くのです。おいらはジャズがすきでしたので、歌に関しては康さんとは「水と油」でした。

(つづく)

※愛読者の皆様へ
 この「作文」がきっかけになり、作者と康さんと35年ぶり再会することになりました。

[2000年7月]