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 ■9 プロサッカーをめぐる幻滅と希望

 サッカーのワールドカップ(W杯)ドイツ大会をむかえて、プロサッカーは果たして進化の歴史をたどってきたのかどうか、あらためて検証してみる必要があろう。

 サッカーの名著と言われる「スタジアムの神と悪魔」(みすず書房)の著者、ウルグアイの作家でありジャーナリストのガレアーノはきびしい見方をする。

 いわく、「勝つことを要求し楽しみを禁ずる不感症にただれた世紀末サッカー」「今の世はサッカーに限らず何においても画一化の強制される時代」。その背景にあるプロサッカー選手のありさまを次のように鋭く指摘する。

 「プロ選手とは一定の賃金を得る代わり、生産性をどこまで上げるよう求めるスペクタクル生産工場におのれの労働力を提供しているのである。賃金相場は生産性に応じて決定され、賃金をもらうほどさらなる要求に応じなければならない」  「スペクタクル生産工場の労働者」であるサッカー選手は、その所有者兼管理者(W杯を主催する国際サッカー連盟や各国サッカー協会)の要求にただ黙してしたがうだけだった。 

 しかし、一九九四年にマラドーナやストイチコフ、ベベト、ウーゴ・サンチェスなど当時の世界のトップ選手たちが、国際サッカー労働者組合の結成をめざして動いた。 結果的に労働組合結成は実現に至らなかった。以後、賃金や雇用などプロサッカー選手の労働環境は厳しさを増すだけだった。ただし、サッカー環境への幻滅が広がれば、それだけ選手たちの間の連帯意識が高まる可能性も大きくなるだろう。

 もし、国際的なサッカー労組が実現すれば、幻滅を希望へと転換できるに違いない。


(「損保のなかま」2006年7月1日付より)


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