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 ■12 「武士道」や「大和魂」流行の危うさ

 米国発の新自由主義やグローバリゼーションへの反発もあってか、最近日本論や日本人論が流行している。

 要するに日本や日本人のいいところを見直し、再評価せよということだが、そこでやたらと引っ張り出されているのが「武士道」や「大和魂」という言葉だ。

 これは二十世紀初頭の日露戦争のころにも大流行したことがある。新渡戸稲造の著書などが次々に出版され、ほとんど死語になっていた「武士道」という言葉がにわかに流行したという。

 「日露戦争時の明治国家は、まさに国民が一体化し死をも辞さない戦争マシーンとして機能していたものであり、そのマシーンを駆動させるガソリンや潤滑油となったのが武士道論や大和魂論だった」(山室信一著「日露戦争の世紀」岩波新書)

 先の戦争での敗戦から61年後の現在、ふたたび「武士道」や「大和魂」がよみがえってきたことは、大いなる危うさをはらんでいる。とりわけメディアを介してそれらが精神主義としてスポーツ界に注入されていることは気がかりだ。
 サッカーW杯ドイツ大会で日本代表に「大和魂」や「サムライ」というイメージをかぶせ、ナショナリズムをあおったメディアの報道は象徴的だ。
 この国を「戦争する国」へとふたたび向かわせかねない自民党政権も、「戦争マシーンのガソリンや潤滑油」としての武士道や大和魂をかぶせたスポーツを、政治的に大いに利用することをねらっているにちがいない。

 戦争への精神動員につながる危険性をはらむ「大和魂」「サムライ」などを無批判、無抵抗に受け入れないことがいま大切だ。


(「損保のなかま」2006年10月1日付より)


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