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 ■17 横綱・朝青龍の革新性

 大相撲初場所で横綱・朝青龍が四場所連続二十回目の優勝を果たした。
 北の湖日本相撲協会理事長などは「相手が弱いので当然の数字だろう」などとコメントしている。その程度の認識しかできないとは、なんと浅はかなのだろう、と思う。

 朝青龍の二十回優勝が持つ意味は、大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花に次ぐ五人目の快挙ということだけにとどまるものではない。
 重要視しなければならないのは、その相撲の質の高さだ。朝青龍の相撲を臨機応変、千変万化と表現しても誇大ではあるまい。

 相撲には、古くから四十八手と言われてきたように多様な技がある。しかし、ほとんどの力士は、極めて限られた技しか使っていない。というより使えない、と言った方が正確だろう。 
 その結果、どうしても相撲が単調な内容になってしまう。それに比べて、朝青龍は対戦相手に応じて動と静、緩と急などのリズムを絡めた多彩な技を繰り出す。
 その意味で、朝青龍は全体的に単調化している大相撲を革新していると言って間違いなかろう。

 モンゴルから来日し、大相撲という未知な世界に挑戦するなかで、朝青龍は創意工夫を尽くして技を磨く努力をしてきた。朝青龍には、勝とうとする意欲ばかりでなく、どうすれば勝てるかを考える理性が備わっており、万全の態勢で土俵に向き合えるのだ。日本人の親方や力士はそうした理性を決定的に欠き、創意工夫ができていない。

 当の朝青龍は、息抜きをすることなく、さらに技に磨きをかけ続けるであろう。今や朝青龍は、追いつき追い越すべき対象となることで大相撲の革新を誘導する貴重な存在なのだ。

(「損保のなかま」2007年3月1日付より)


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