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甲子園大会での斎藤投手の熱投ぶりは、たしかに多くの人に強い印象や感動を与えたであろう。しかし、野球にあまり関心のない人たちが斎藤投手に大フィーバーしたのは、メディアのあおりによるものだった。 それに乗って、あるいは乗っけられて、「ハンカチ王子」を「カワイイ」ものの象徴として受け止め、フィーバーしたのだろう。 日本テレビは、そうした女性たちを取り込んで視聴率を稼ごうと、プロ野球巨人戦の中継を減らす一方で、東京六大学野球の放送権を確保した。こそくというか浅ましいというか、テレビ局の見識のなさにあぜんとさせられる。 六大学野球は各大学の野球部が練習の成果を競い合う場であり、一般の人たちを対象にした見せ物ではない。 ところが、六大学野球連盟は「佑ちゃんフィーバー」で多くの観客を動員できると大喜びしているありさまで、あきれるばかりの浅はかさをさらけ出している。 そして、当の斎藤投手までが、大学関係者たちにあおられて自らの立場を見失い、「観客で埋まるように努力します」と発言した。 いうまでもなく、斎藤投手が大学でなすべきことは、将来社会人になるべく、豊かな人間性を形成することである。 「フィーバー」というのは、無責任な人たちが起こす一時的な現象で、かならず終わる。 そのことを理解せず、フィーバーの幻想に取りつかれて自らなすべきことを忘れてしまえば、野球しかわからない、貧しい人間になってしまう。そのことを、斎藤投手は、肝に銘じておくべきだ。 |
(「損保のなかま」2007年6月1日付より)
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