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考えて打てだと!無理を言うな。同時に二つのことができるものか。(ヨギ・ベラ) |
長嶋さんが倒れたとき、日本中(のマスコミ)は大騒ぎだった。少しオーバーじゃないかという気もしたけれど、あの愛すべきパーソナリティのせいだと善意に解釈しておく。 その選手時代の長嶋さんを、「何も考えずに打つ人」と誤解させてしまったのは、坂東英二さん(元・中日ドラゴンズ投手、現・タレント)の次の述懐だった。
長嶋選手が何も考えていなかったといえば失礼だが、実際に投手・打者間をわずか○・三秒でやってくるボールに対して、余計なことを考えていて打てるはずもない。身についた技術で瞬間的に対応するのみだ。 だから「考えて打て」とは、(1)投手の配球を読め。次に来るボールは何かを予想せよ。(2)ボールの種類に応じたバッッティングをせよ。たとえば、カーブなら右方面を狙うなどの臨機応変さを持て。(3)状況に応じたバッティングを心がけよ。走者や得点差、次打者や相手投手陣など敵味方の戦力を考えて対応せよ…などの意味だろう。 しかし、いずれも、投手の手からボールが離れる前に頭に叩き込んでおかなければならない事柄だ。要するに野球に関する基本的で深い知識の蓄積がなければならないから、付け焼刃で身につくものでもない。「考えながら打つ」などという芸当は不可能で、どの選手もみんな「ただ、来たボールを打つだけ」だ。 「考えて打つこと」と「考えながら打つ」ことは違う。冒頭のセリフを誘発したコーチや監督の言いたいことは、むろん前者である。それをあえて後者の意味に置き換えて口うるさいコーチや監督に鋭く反発してみせる。アメリカ人らしい見事な切りかえしのロジックだ。実際にプレーする選手としての誇り、強烈なアイディンティティが示されている。 「成果主義、成果を上げぬ人が説き」というサラリーマン川柳に見る日本の労働者の飄々とした上司批判とは異質の、強烈な体臭が漂ってくるセリフだ。 |
(「損保のなかま」2004年4月1日付より)
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