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 ■4…ボス
   ビリー・マーチン監督の自己矛盾

規則1「ボスは常に正しい」
規則2「もしボスが間違っていると思ったら規則1を見よ」
 ビリー・マーチン

 ビリー・マーチンがヤンキース監督時代の、選手への通告である。
 だが、マーチンの生き様とこの規則を見比べて、その矛盾に笑ってしまう(失礼!)。彼は部下から自分への批判は禁じたが、自分は上司(ボス)をものともせずに平気で楯突き、批判し続けたからである。


ドンキース監督時代のビリー・マーチン
 ビリー・マーチンは一九七五年に古巣ヤンキースの監督に迎えられ、十年間で、五度もヤンキースの監督を解任され、その都度要請されて入団という繰り返しを演じている。
 誰に対しても妥協をしなかった彼は、グランド外でもケンカは日常茶飯。小柄ながらそのパンチの速さと鋭さは大男をものともせず、バーで見知らぬ客をノックアウトすること数知れずだった。その非妥協性こそ度重なる解任劇の理由であった。

 一方、勝つためには手段を選ばない勝負師ぶりが、度重なる入団要請劇の理由であった。「オレが望むのは勝つことだけだ。敗戦など考えたこともない。野球によき敗者と言うものが存在するとしたら、スコアをつける必要などないではないか」と、勝つためにはあらゆる手段をとった。ボールに細工を施す不正投球やビーンボール指令はマーチンの得意技だった。巨人に入団したクライド・ライト、阪神のマット・キーオ。いずれも不正投球疑惑の絶えない投手だったが、二人ともマーチン直伝の「技術」を持っていたからだ。

 ニューヨーカー誌は「彼の顔は…相手への敵意でほとんど病人のように見える」と書いた。マーチンの「敵意」が相手に向けられるとき、それは勝利至上主義となってオーナーと利益が一致した。

 しかしファンが愛したのは、彼の勝利至上主義ではない。自分が作り上げた「ボスは正しい」というルールより、自分のボス、権力者に対する批判の自由を上に置いた。その矛盾の小気味よさ。それこそファンが愛した本質であった。彼はオーナーを「前科者」とののしり、コミッショナーに楯突き、誰もが遠慮する主力選手のレジー・ジャクソンとベンチ内でつかみ合い、むろん審判とも日常的に戦った。

 ボスには極めて従順だが部下にはやたら厳しい。そんなダブルスタンダードの上役を見慣れている目には、マーチンの一貫した?全方位ケンカ姿勢はなんとも新鮮に映るのである。

(「損保のなかま」2004年6月1日付より)


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