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「それは無理だ。腕だけを博物館に渡せるものか」 かつてのインディアンスの名遊撃手、ジョー・スウェルは七九歳で野球殿堂入りを果たした。一九七七年のことである。そのとき関係者はスウェル愛用のバットも一緒に殿堂入りさせてくれないかと薦めた。それに対する彼の「こだわり」の返答である。 バットを抱いて寝るというのは、なにも小学生や中学生だけではない。バットやグラブは選手の分身なのだ。
映画の中でロイ(レッドフォード)は、たった一本の自作愛用バット「ワンダーボーイ」を大切に使い続ける。年間二〜三○ダースも消費する現代では考えられない時代であったことは確かだが、これはおそらくスウェルの実話にヒントを得たものだろう。 スウェルこそ愛用バットを折ることもなく、その一本だけを一四シーズン(!)も使い続けた選手なのだ。まさに分身というべきそのバット。いくら殿堂へと薦められても、手放せなかった気持はよく分かる。 スウェルが七千打席も打ち続けたその長寿バットは一一三二グラム。「正しいスイングと毎日の手入れ」が長持ちの秘訣とスウェルはいっている。 正しいスイングとは、バットに印されているメーカーのマークが上向きになるようにして行うことだ。つまり、マークの場所から四五度のところにボールを当てるように打つのである。そうすることでバットの木目に合ったインパクトが得られる。 もっとも、ヨギ・ベラ(かつてのヤンキースの名捕手)のように「俺は球を打つためにバッターボックスに入るのだ。マークを読むためじゃない」と「正しいスイング」など一向に意に介せぬ選手もいた。 大リーグの選手たちの、繊細さとアバウトさの距離はとてつもなく遠く、住む精神世界はあまりにも広大だ。 まさに「選手もいろいろ」である。 |
(「損保のなかま」2004年9月1日付より)
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