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「誰でも自分の良心に従って行動する自由がある」(トロント・ブルージェイズのトスカ監督)
ヤンキースタジアムで七回になると愛国の歌「ゴッド・ブレス・アメリカ」が演奏され、松井も含めて両軍選手がグランドに出て脱帽する。ところが、そのセレモニーに参加しない選手がいた。トロント・ブルージェイズの主砲、カルロス・デルガドである。アメリカによるイラク戦争に反対し、出身地であるプエルトリコに米軍の基地が存在していることに抗議する行動だといわれるが、彼は歌の時間をベンチに引っ込んだまま「ただ外に出たくないだけだ」と静かにやり過ごすにすぎない。 冒頭の言葉はそのデルガドに対する監督の擁護発言である。 甲子園でもまた、恒例のセレモニーには必ず不参加、というプロ野球関係者がいたことは知る人ぞ知る。木庭教。広島カープ(後に横浜、日ハム)の名スカウトとして幾多の名選手を発掘して広島の黄金時代に貢献した慧眼の野球人である。 その木庭が、高校生の逸材を求めて甲子園球場の全国高校野球大会のスタンドに体を運ぶのは初日の「国歌斉唱・国旗掲揚」の儀式が終わってからであった。儀式の間、彼はスタンド下の通路で時間が過ぎるのを静かに待つ。原爆の被爆体験を持つ木庭だが、デルガド同様、声高に何かを主張し訴えるというわけではない。ただ「唱和しない」というだけだ。 もし、スカウトではなく、日本のプロ野球選手がデルガドと同じような行動をしたら…周囲はどんな反応をするだろうか。 君が代斉唱に同調しなかった教師が処分され、「口ずさむ気にならない」と言ったサッカーの中田選手が非難される日本である。プロ野球選手の行動も「青少年の教育上の観点」から異端は認められないであろうことは容易に想像できる。 それにしても、大リーグ野球に見る、異文化共存・多様性容認思考は、この国の政府が一国中心主義の世界戦略を掲げる単細胞的思考であることと、あまりにも対照的である。 この両義的アメリカは、やがて、いずれの側に収斂していこうとしているのだろうか。(参考文献、後藤正治「スカウト」講談社。「毎日新聞」04/7/22朝刊) |
(「損保のなかま」2004年10月1日付より)
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