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夜間のバット素振り練習の効果は疑問だ。なぜならバッティングとは動いているボールを打つものだから、一番大切なことはタイミングだ。素振りでタイミングが学べるとは思えない。(ロッテ・バレンタイン監督) かつて、金田正一氏が監督をやっていた時代のロッテも徹底的に走り込むことがキャンプの中心課題だった。陸上競技部のように選手は走ってばかりだった。いったいこれで野球がうまくなる時間はあるのだろうかと心配したものだ。 走ることはすべてのスポーツの基本であることはわかっている。一年間たたかえる体力が必要というテーマ追求を否定するわけではない。しかし、だからといってキャンプで多くの時間をランニングに割くのはもったいない。優勝したから言うわけではないが、キャンプ初日から紅白戦をやった昨年の中日・落合監督の「俺流」は合理性をもっていたといえよう。 大リーグのキャンプは、いきなり投手と打者が対決するような練習風景から始まる。野球の練習とは「野球をやること」と単純にして明快、いわゆる実戦主体の練習である。ボールが来ないところでバットを振っても練習にならないし、打者がいないところで投げても面白くない。上手になるために面白さは必要要件だ。インタレストは能力アップの源泉なのである。 かつて一年だけヤクルトに在籍し、脅威のペースでホームランを量産したボブ・ホーナーは「キャンプとは何か?それはコンフィデンス(自信)を作り出すためのものだ」と断言する。 難行苦行の日本プロ野球キャンプと、興味を持続させながら自信を培うことを目的とする大リーグキャンプの違いは、観念論につながる精神主義と、唯物論的合理主義の対立かもしれない。 ともかく、日本プロ野球キャンプの特色である、「集団ランニング」や「夜の宿舎におけるバット素振り○○回指令」などが、どれだけ基礎体力づくりや野球技術の向上にプラスするかはともかく、すくなくとも監督やコーチに何を命じられても耐えうるだけの我慢と根性を植えつける上で効果があると考えられていることだけは確かだ。 自分の号令で選手を動かすことに生き甲斐を感じ、「鬼軍曹」などと呼ばれて喜んでいるコーチがいるのだから、まだまだ選手主体のキャンプになっているとはいえないのである。 |
(「損保のなかま」2005年3月1日付より)
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