(4)横丁の思い出 |
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ガキ大将という言葉を最近はあまり使われなくなりました。また聞くこともありません。
清が「ガキ大将の仲間」に入れてもらったのは、小学校1年生の時です。大将は6年生の神野勲夫こと「いさおちゃん」でした。 いさおちゃんは、相撲が強く、同じ学年では勝てる子はいませんでした。もちろん清たちの小さい子の面倒も良くみてくれました。 ガキ大将になれる条件は、力が強いだけではありません。頭も良くないといけません。なにしろ10数人の子分を連れて安全に一日を遊ぶのです。 ガキ大将と言われますと、悪いイメージがあると思いますが、決してそうではありません。現代のように小学校低学年は「学童保育」というものがありませんでした。「ガキ大将の仲間」は学童保育の役割も兼ねていたのではないでしょうか。 ガキ大将の元に集まり、夕方まで横丁や広場でいろいろな遊びをしました。もちろんいたずらもたくさんしました。 この頃は横丁や小さい広場がたくさんありました。道路で遊んでいても車も少なく、交通事故にもめったに遭いませんでした。 実はここで「学んだ事」が成人してとても役に立っているのです。学校の勉強では教わらないことを多く学びました。
そしてある日、「ボス犬 ハッピー物語」 に似たような事が起こりました。 3カ月後に子犬を放した時に、運悪く保健所の野犬捕獲員(「犬殺し」と言っていました)に捕まり、子犬は連れて行かれてしまいました。 悲しくて、悲しくて。皆でぞろぞろと下を向いて、町の横丁をぐるぐると歩き回りました。そして日が暮れた遅い時間に鶴見川に行き、力いっぱい石を投げました。これで悲しい、悲しいストレスは解消されるのです。 【涙がボロボロ】 皆で歩こう 下を向いて 涙が ボロボロ出てきます
完成して6人ほど小屋に入りましたら突然に崩れて、全員が小屋と一緒に落ちてしました。いさおちゃんは倒れて起き上がれませんでした。いさおちゃんの周りに皆で集まりました。 「いさおちゃん。死んでしまったのかなァ〜。どうしょう。どうしょう」と清は泣き出してしまいました。 そのとき突然。 小学校1年生の清は「生きている喜びと、死に対する不安」を自然な形で学びました。 (つづく) |
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(2007年10月15日) |
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