さらば生麦
ーー桜花咲く生麦小学校門まえにての走り書きーー
1951年春から数えて十有五年間……
ぼくを鍛え抜いてくださった鉄の町、
ノリとアサリの町、生麦の皆様。
生麦町の親御さん・子どもたち、
ぼくは、あなた方とお別れして行かなければなりません。
短かい、たったの十五か年でございました。
林立するエントツ・疾駆するトラック、吐き出る煙、
鉄板叩く音、
パン食い食い出勤する若者、国道駅へ一目さんの禿げおやじ、
へそまで汗垂らし働き抜くとうちゃん、長ぐつ前垂れ姿のかあちゃん、
アサリむく音、ノリすくう冷たい手、戦さそのまんまの朝市風景
ふんどし一ちょの旧東海道、立ち飲み姿の工員さん、一升瓶傾けるおやじ殿、
赤提灯のウチワとだみ唄、
作業着姿そのまんまのPTA会長さん、買物、内職姿そのまんまのPTAおばさん
ベーゴマに興ずるガキ共、箱打ち手伝うガキ共、新聞・牛乳配達のガキ共、
コロッケ食い食い平チャラな下町娘、ゆかた姿の盆踊り花笠娘、 子守娘、ムキ包丁の傷イタイタシイ あの娘 この娘……
口は悪いが、心真っ白な あなた方と、そのお子さんたち……
しいなびた枯葉のような、物知り顔の教員ボクは、
あなた方から得難いものを教わったのでした。
それは、労働者の精神!
義理と人情の下町心意気!
いただいたものの消え去ることのなきよう、
心こめ記録しておきました。鉄の筆(*)で、鉄の板へ。
あなた方の子どもさんといっしょに。
その名は、
「エントツ」。
オレ教育(判読不明)衰える日
「エントツ」をめくります
学者の理屈より、仲間の集まりより、何より真っ先に。
20坪教室と校庭で、オレは微力を傾けた。それからオレは跳び出した。
子どもの見舞いに、仲間学習の具合をみに。あなた方の声を聞きに。
朝となく、昼となく、夕方となく、夜となく、
自転車を走らせ、サッサと歩き、酔ってはふらつき、飲んでは泊まり込み……
あなた方は、よく「小沢さんは偉い」とおっしゃった。
冗談じゃねえ、
2×2が4ぐらいまでしか学校へ行かなかったというあなた方。
35円で売られて来たというあなた方。
東北から、越後から、北関東から送られて来たというあなた方。
すうなり、すんなり育った坊ちゃん先生オレなどには、
一ミリだってわかっちゃいない ご辛苦かたまりの皆さま方です。
あなた方こそ、歴史を支えてこられた方々、歴史を支えていく方々なのです。
ああああ、長すぎた。
漁師魂・職工魂・商人魂は、
酔っぱらったとて、クダをまくことがお嫌いでした。
オレだって、あんた方へのお礼など、いくら書いたところで、切りなんてありゃあしねえや。
ここらで、サーッと黒板消そう。
アッサリ別れようぜ! 威勢よく別れようぜ! 男涙は禁物だ。
さようなら、我が教え教わりし子どもたちよ……
さようなら、おとっちゃん おっかちゃんたちよ……
さらば、
京浜生麦労働者街の春よ。
*当時は謄写印刷全盛時代。鉄のヤスリ板に蝋紙をのせて鉄筆で刻字していったものでした。
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