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第四章 熱血小沢発言

(3)



   病棟吟

ウツ病オザワ・イサオ   
於・港北精神病院     


校庭の池辺見つめいて虚しき今のわがすべてなり
             −−永野の子らよ[注1]、さようなら


不眠の夜のわが眼底の暗より暗に針が降り針がしずむ

何者かありてわが身を呪縛するギリギリに締めつけられているばかり

病室の扉の外すぎてゆく足音狂える人の歩む音

鉄格子の非情にみずからをはめこみし暗い奈落に咲く青い花

深夜の狂病廊を音もなく歩みくり返す不眠にも倦(う)みて

在らぬ方に在らぬ幻みつめいてふとひらひらと笑う少女

扉の外に出してもらいし背後にて再び扉に鍵かけし音

その扉は固く閉ざしたり今出てきたりし内部の廊みえながら

烙印を背におされいて病廊を掃き移る方うすき茫漠

渡される手紙はいつも封切られていてそのたび悲しき人権喪失者

冬の雨しょうじょうと降る窓を背にたたずみているばかりの時間なり

ガンジョウな手窓[注2]の格子につかまりいしファン・ゴッホ思う過ぎし映画に

薬にておさえられいるテンカン気質粗暴にやさしくわれを疲らす

古新聞などひろい読んでいるみずからをふとみいだして単純にうれし

鉄窓の下ゆく中学生吾子に似るわれ眼つぶり床にひれふす

わが病い吾子に遺伝すな夜毎呟くはただそのことばかり

朝逃げゆきし高校生夕べ個室へぶちこまる極悪人のごときシウチ

ゴメンナサイゴメンナサイ戸をぶち叩くあの声に心動かざるか子もちナイチンゲールめ

なぐるな看護人野郎そは拒食児なるぞなぐるなら俺なぐれ大バカヤロー奴

韜晦の歌書き病棟に過しいるわれをな告げそ母がなくらん

秀才の少年なりとわがことをば近隣に告げし若き母の日

清らにて戦場にゆき還らざる友等思えば唯申し訳なし

プラスタイル貼られし床をゆき帰り病棟に永き幾月か経たり

さびしくも脳病棟に老の身のくち果てゆきしカントール思う

静かなるむなしき眠りに至りつく過程ならむや吾のこの世は

巽先生[注3]前にして涙こぼすなと叫べども嗚咽くぐりて涙したたり落つ

悩み多き鈴木氏のお見まいよわれただ詫びており申しわけなし

町工場まで面会にきたるとは誰なるぞそはわが友だち木俣敏氏なりき

真黒なるわれの手な見そ音きくなもう来てくれるなと狂者の心

風土記[注4]のことなど何も思はず思うは友は自由よ吾は籠の鳥

きょうから静岡大会[注5]かわが師わが友くだされしお便りにぎる蝉時雨の中



[注1]永野の子らよ…生麦小より転任した永野小学校の子どもたちに対する訣別の辞です。

[注2]手窓…病室と外界の接点に取り付けられている極く小さな鉄格子の窓のこと。

[注3]巽先生…巽聖歌氏のこと。唱歌「たき火」垣根の垣根の曲り角…万人が小学生のときに教わったこころやさしい歌の詩は巽先生のもの。巽先生より「君は小沢君を守り、再び詩人教師として歌えるようにしてやってくれ」と握手されました。

[注4]風土記…日本作文の会が県別に全47巻を子どもの作文や詩で構成した「子ども日本風土記」のこと。神奈川県版は小沢さんとふたりで責任編集することになって間もなく、小沢さんは精神病院に入られてしまわれたのです。

[注5]静岡大会…作文教師が一年に一度、実践を持ちより、熱い討議に明け暮れる大会。この年一九六九年は静岡市へ参集しました。

(木俣)




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