思ってもみなかったことから、いっきょに機盛りあがって、『「エントツ」復刻2 小沢勲の成してきたしごと集』をまとめることができました。
なんといっても中心になってくれたのは、小沢勲さんの情熱迸る教育を受けられた、かつての教え子臼井淳一さんです。
そして復刻の1を読み、子どもの作文や詩にいたく感銘。またそれら作品におくる小沢さんの朱筆に魅せられて、今や四面楚歌におかれている教育状況下だからこそ、復刻の2は出版すべきであると、無料奉仕をかって出てくれたあかつき印刷の職場仲間である情報通信事業部の金光敏博さん、本づくりには欠かせない編集企画・版下制作の北原企画代表である北原辰己さんと、心強いスタッフが整っていたからこそ、ようやく出版の運びとなったのです。
最初は手元にある原稿を全部渡しさえすれば、わたしの役目はその時点で、きれいさっぱり終る、そう思っていました。
ところが話し合いのなかから、復刻1に続いて2も編むこととなりました。
完全にお蔵入りとしてしまったものを取り出して、作業の再開をしていくことは、正直億劫でした。きのうまでの生活のサイクルを変えねばならないことが、次第にわかってきたからです。原稿を読み返していくうちに、教育の専門用語や、四十年以前に書かれたものなどもあって、このままでは読者に伝わらない部分もあると検討していくなかで、最低限の注釈を付けるしごとも出てきました。
小沢さんの教育の中軸は、なんと言っても発行し続けてきた文集「エントツ」です。その文集とは、また違った意味合いの貴重な発言も多いのです。復刻2では、それらもできるだけ蒐集することにつとめました。
朝日ジャーナル
アサヒグラフ
未来社
読書新聞
百合出版
小峰書店 など
原稿を転載するためには、必然的に諾否をとる手続きも生まれてきました。身辺が俄に忙しくなってきました。
小沢さんは一見豪放な人にみられるのですが、どうしてどうして表現の微細なところまで揺るがせにしない細心。しかもナイーブ。万年少年のこころを持続している、類まれな人でした。
よく「正気と狂気は紙一重」と言われます。つまり差など有っても無いに等しいと、いうことです。小沢さんは、その正気と狂気の織りなす分水嶺を歩いていった人でもあります。
教育に対する管理体制が、年々強まってくるなかで、小沢さんは神経を病むようになり、躁と鬱の狭間で苦悩していきます。「病棟吟」は、入院患者への理不尽な対応をする精神病院へ、すさまじいまでの息遣いで、怒りを叩きつけていきます。その小沢さんの正視を透し、改めて正気とは、その対局に据えている狂気とは何なのかを、深く考えさせる呻吟ではないでしょうか。
むかし「こんな教師がいた」というたんなる過去形として語られるために、わたしたちはこの小沢勲の成してきたしごと集を編んだのではありません。潤いを失いつつある教育に直面している教師や父母たちが、この本を契機に人間性の健やかな回復や、子育てに対する自信をとり戻してもらいたいと思っているところです。
さいごになりましたが、前掲の各出版社より原稿転載に、快く応じてくださいましたこと、ありがとうございました。
また、小沢勲さんの御子息明さんよりも「きっと父も喜んでいると思います。すべてお委せします。」とのあたたかい言葉をいただき、仕事を押しすすめていく指針が固まったのでした。
この『「エントツ」復刻2 小沢勲の成してきたしごと集』を手にされたことが、明るさを生み、二十一世紀を歩んでいくあなたのちからとなれば、このうえもありません。
二〇〇一年 三月
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