小学生の生活勉強 6年生 ●小峰書店
 世の中のことにも目をひらく

 
中学の門をくぐる日が、もうすぐそこにせまっています。里枝子さんは、いったいどのようなねがいをいだいて生活しているのでしょうか?
 
 
 わたしのねがい
   横浜市生麦小学校 永島里枝子


    一
 
 わたしは、五年生になってから、お店の手伝いをするようになった。おかあさんが、お店とお勝手と両方やるのはたいへんだからだ。
 手伝うようになってから、うれしいこと、いやなこと、そして、わたしのねがいなど、さまざまな思いを経験している。
 そのことを書いてみよう。

    二
 
 お客さんといえば、いろいろな人がいる。
 きのうも、こんなことがあった。
 わたしは、ピアノから帰宅して、「ただいま」ともいわないうちに、
「ください。」
という、やさしい声がかかった。わたしは、
「ちょっとまってください。」といった。そして、かぱんをお茶箱のはじっこにななめにおいた。それから、すぐ、お店に出た。すると、めがねをかけた四十くらいのおばさんが、ひたいにしわをよせ、
「一〇〇グラム一五〇円のお茶、一五〇円ください。」
と、赤と白のこうしの長方形のおさいふから、一〇〇円札二枚を出しながらいった。わたしは、
「ハイ。」
と、ゆっくりいった。そして、木のお茶ぶくろいれのいちぱん上から、角ぶくろをシュッとぬきとった。そして、そのとなりのお茶箱の上においた。それから、青々としたお茶を、手で五、六回かきまぜた。かきまわさないと、粉のお茶がはいってしまうからだ。すると、なんともいえないいいかおりがしてきた。
 わたしは、鼻をピクピクさせながら、角ぶくろに、お茶をサラサラ手で五、六回いれた。そして、それをはかりにかけた。まだ、一〇〇グラムにたっしていない。七二グラムしかない。だから、わたしは、もうひとつかみお茶をたした。はかりにもっていくとき、(一〇二グラムにたっするように)といのった。スッとお茶をはかりにかけた。一〇二グラムだった。わたしは、(よかった)と、心の中でよろこんだ。
(一〇二グラムじゃ、おおい)
と思う人がいるだろうけど、二グラム、ふうたい(ふくろの重さ)があるからだ。
 わたしは、お茶をはかりからおろして、藤色の包装紙をスッとつかみとった。そして、お茶箱の上で、クルクルッとつつんだ。
 すると、おばさんが、
「ハイ、二〇〇円。」
と、お茶をわたしからもらいながらいった。
 わたしは、一〇〇円札二枚をもらい、ふるぼけたお金箱をキリキリッとあけ、ていねいにしまいいれた。五〇円玉をお客さんにわたした。
 おばさんは、
「えらいねえ、お店番。」
と、えくぼをへこませてわらってくれた。わたしは、
「へヘへ。」と、にこにこした。そして、
「どうもありがとうございました。」
と、すこし顔を赤らめながら、ちょっと頭をさげた。おばさんは、ほほえみながら、帰っていった。
 
    三
 
 けれどもこんなことばかりではない。
 おとといは、つぎのようなことがあった。わたしは、『バラがさいた』の鼻歌をうたいながら、お店番をしていた。お客さんがこないので、雑記帳に字を書いていた。
 すると、みじかくパーマをかけた、せのひくい四十くらいのおばさんが、
「お茶くださいな。」
と、キリキリした声をだした。わたしは、ハッとして、
「なんでしょうか。」
と、はや口できくと、買物かごをかきまぜながら、
「いつものお茶。」
と、すかした口調でいった。わたしは、おかあさんのお手伝いだから、「いつものお茶」といわれても、わからない。そこで、
「おかあちゃん、ちょっとうー。」
と、大きな声でよんだ。二〇秒くらいしても、おかあさんはまだ出てこない。わたしは、(なにしてんのかな)と、心の中でまよった。わたしは、
「ちょっとまってください。今、おかあさんよんできますから。」
とことわってから、しょうじをパチッとあけながらいった。だれもいない。わたしは、(こまったなあ)と思いながら、お店に出た。お客さんに、
「今、うちにいませんので、さがしてきますから。」
と、サンダルをはきながらいった。
 いそいで、八百八に直行した。そこにいなかったので、おそばやへ行った。そこにもやっぱりおかあさんのすがたは見えなかった。わたしは、(おかあさんどこへ行ったのかな)と、舌うちをしながら、うちへ超スピードでもどった。お客さんは、おちつかないようすで、そわそわしている。わたしは、
「今、おかあさん、さがしてもいないんですけれど。」
と、とぎれとぎれいうと、
「えっ、いないの。」
と、おどろいたようにきいた。わたしは、
「いつも、どのへんの箱からのお茶をもらうのですか。」
とたずねた。そのおばさんは、
「わかんないわ。帰る。」
と、しゃくにさわったようにいって、プンプンしながら行ってしまった。
 
    四
 
 でも、こうした人は、まだいい方だ。わるい人とばかりはいえない。いそがしいおばさんなのだもの。けれど、なかにはわたしをこまらせる人がいる。
 さきおとといも、こんなことがあった。
 わたしは、クラッカーをたべたべお店に出た。それは、おかあさんが八百八までおつかいに行くからだ。すると、まっ黒によごれた作業服を着て、顔がちょっとうすよごれていて、あごひげをはやして、どんよりした目の人がきた。わたしは、
「なににします。」
と、歯のあいだにつっかかったクラッカーを、舌でとろうとしながらいった。おじさんは、
「お茶をくれ。」
と、頭をポリポリかきながらいった。わたしは、
「どのくらいですか。」
と、目をほそめながらいうと、
「安いのでええ。」
と、ひくい声でいった。わたしは、
「最低が八○円ですけど。」
と、鼻をなでながらいった。おじさんは、
「なに、最低八○円。もっと安いのはねえのか、安いのは。」
と、親指と人さし指で、ひげをいじりながらいった。わたしは、オズオズしてしまって、
「ハイ、五〇円ぐらいの安いお茶の葉ができないんです。」
と、ふるえ声でいった。すると、
「ふーん、しょうがねえなあ。」
とすこし考えてから、
「そいじゃ、いらねえや。」
と、やくざみたいな口調でいった。わたしの心ぞうのこ動は、ドキドキドキドキドキと、とてもはげしくうごいていた。すると、すぐそのままツカツカと帰って行った。わたしは、フーッとため息をついて、(ああよかった)と、安心した。
 
    五
 
 このように、さまざまなお客さんがくるけれども、どのお客さんにしても、おさいふからお金を出すとき、しぶい顔をしている。わたしのお店の前を通るおばさんたちも、
「レタスあがったわねえ。小さいので、一つ九〇円もするのよ。」
「そうねえ。ノリだってそうよ。まえ一〇枚買っていたのに、このごろは、五枚しか買っていないのよ。」
「そうねえ。なにからなにまで、よくあがるわねえ……。」
などと、ため息まじりに話し合いながら行く。
 たしかにそうだ。家のノリだって、去年あたりからすると、四割から五割あがっている。わたしの大好物であるゴマセン(ごまのついたおせんべい)だって、まえは二枚で五円だった。それなのに、今では、一枚で五円だ。しかも、小さくなっている。まだある。あめだってそうだ。二個一円が一個二円にあがった。
 どうして、こういろいろなものが値上げしていくのだろう? わたしにはよくわからないけれど、政治をする人のやり方がよくないのだということは、わかる。
 このごろ、選挙のポスターがベタベタはられだしてきた。どれにも、『物価安定』の文字が書かれてある。『黒い霧』などたちこめさせるわるい政治家などをえらばず、りっぱな選挙ができればいい。そして、ほんとうに、値上げのない社会ができればよい。そうすれば、わたしのお店のお手伝いも、たのしく、ゆかいにできるのになあ……。これが、お手伝いしながらのわたしのねがいである。

(小沢 勲先生・指導)




「サタデーリーグ」トップページへ
前ページへ